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ケネディ大統領暗殺事件の真相、「オズワルド」は厚木基地にいた

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ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺されたが、犯人とされる「オズワルド」は厚木基地に勤務していた。

オズワルドの日本の米海軍厚木基地以降の経歴

1957年 オズワルド米海軍厚木基地赴任
1959年 オズワルド旧ソ連亡命
1960年  米偵察機U-2、ソビエト上空で撃墜される
1961年  ケネディ大統領就任
1962年 オズワルド米国に帰国
1963年  ケネディ大統領暗殺

リー・ハーヴェイ・オズワルドは1957年に日本の米海軍厚木基地に赴任しU-2偵察機関連の任務に就きロシア語を習得した後、1959年に旧ソ連に亡命している。

翌年1960年に旧ソ連が米軍U-2偵察機を撃墜している。U-2偵察機のパイロット「フランシス・ゲーリー・パワーズ」はパラシュートで脱出し、1962年に米ソのスパイ交換でアメリカに帰国している。

オズワルドがU-2偵察機の情報を旧ソ連に漏洩し、その結果U-2偵察機が撃墜されたと疑われても仕方がない状況だった。

しかし、オズワルドは何事もなかったように、アメリカに帰国し、一般市民として生活しているのが不可解だ。

そこに暗殺事件のヒントがあるのではないか?

 

ミサイル・ギャップ論争

1957年、旧ソ連は人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げ、世界初の人工衛星による地球周回を成功させた。これ以降、旧ソ連の方がロケット技術が進んでおり、アメリカは大陸間弾道ミサイルの分野で旧ソ連よりも遅れているのではないかという「ミサイル・ギャップ論争」がアメリカ国内で起こった。

結果的には、軍事ミサイル分野ではアメリカの技術の方が進んいたということが分かるが、アメリカ軍高官の中には「旧ソ連が核先制攻撃をする前に、予防的にアメリカ軍が旧ソ連を核先制攻撃すべき」という意見を持つものも少なからずいた。

 

なぜ、アメリカ政府はオズワルド単独犯行説で処理したのか?

ケネディ大統領暗殺事件では、オズワルドの狙撃場所である教科書倉庫ビルから3つの薬莢(やっきょう)が発見された。

しかし、発射された1発は外れ、2発が大統領に命中、1発がコナリー知事に命中しており、4発の薬莢(やっきょう)がなければいけないし、白バイの無線には4発の銃声が記録されている。

ウォーレン委員会では、ケネディ大統領に命中した1発の弾丸が、貫通した後、方向を90°曲げコナリー知事に命中したとし、薬莢が3つであっても不思議ではないとしている。

常識的に考えて「ウォーレン委員会」の「オズワルド単独犯行説」はかなり無理がある。

なぜ、ウォーレン委員会がこじつけのような結論を出したのか?

それは、オズワルトが旧ソ連に亡命しており、この暗殺事件の真相を追求すると旧ソ連の関与を疑うことになり、最悪の場合「米ソ核戦争」に発展する可能性があるとして「オズワルド単独犯行説」になったとする見方がある。

したがって、ウォーレン委員会は、ケネディ暗殺の事後処理をしただけで、暗殺事件とは無関係と思われる。

 

ジョンソン副大統領は黒幕ではない

ケネディ大統領死亡により、ジョンソン副大統領が大統領に就任し、「オズワルドの単独犯行」と結論づけたウォーレン委員会を設置したことからジョンソン副大統領が暗殺事件の黒幕ではないかという見方があるが、これは正しくはない。

なぜなら、ケネディ大統領暗殺事件の黒幕は、オズワルドを旧ソ連に送り込んだ1959年から関与しているはずだ。しかし、ジョンソン副大統領が副大統領に就任したのは1961年なので時間的に整合性がとれない。

ジョンソン副大統領は暗殺事件の後に真相を知っていた可能性はあるが黒幕ではないと思われる。

 

黒幕は軍部、情報機関、または退役軍人組織か?

ケネディ大統領暗殺事件の黒幕は1959年にオズワルドを旧ソ連に送り込み、米軍U-2偵察機の情報はわざと旧ソ連に漏洩させたと思われる。

なぜ、そうしたかというと、米軍U-2偵察機を旧ソ連に撃墜させ、それを原因として対ソ戦争を開始する意図があった可能性がある。

1961年、大統領に就任したケネディ大統領は旧ソ連に対して消極的な対応をしていた。当時のアメリカ軍には旧ソ連の核先制攻撃によりアメリカが大きな被害を受け敗北するのではないかという危機感が広がっていた。

アメリカ軍には旧ソ連を核先制攻撃をするプランがあったと思われる。

ケネディ大統領は1962年のキューバ危機を乗り切ったが、アメリカ軍の中には「ケネディ大統領の旧ソ連への対応は依然として消極的で、将来的に旧ソ連が核先制攻撃をするのではないか?」という懸念が逆に高まったと考えられる。

アメリカ軍幹部は、アメリカという国を守るか?ケネディ大統領を暗殺するかという究極の選択をしないといけないと感じた可能性がある。

暗殺したグループにとっては、アメリカ大統領を暗殺しても、旧ソ連との核戦争に勝ってアメリカ国民を守ることが「正義」だったのかもしれない。

 

1950年代~1960年代のアメリカの核シェルターブーム

大統領暗殺を考える時と、当時のアメリカの状況を考える必要がある。1950年代~1960年代のアメリカでは旧ソ連との核戦争が起こるのではないかという恐怖感が広がっていた。このため、アメリカの一般家庭でも核シェルターを建設することがブームになったくらいだ。

当時のアメリカの状況は、核戦争の一歩手前で米軍幹部はぎりぎりの選択を迫られていたのだ。

 

厚木基地でのオズワルドの関係者

ところで、オズワルドを旧ソ連に送り込むことができた黒幕の1人は1957年~1959年に日本の米海軍厚木基地に出入りしていた○○提督の可能性があるとされる。

その黒幕の名前は、下記の書籍に書いているようだが推定でしかないので、ここでは個人名を書くことは控えたい。

 

まとめ

当時のアメリカは旧ソ連から核先制攻撃を受けることを恐れていた。そのため、アメリカ軍やCIAは、オズワルドにU-2偵察機の情報を与えた上で旧ソ連に亡命させ、旧ソ連がU-2偵察機を撃墜させ、それを口実に米ソ戦争を開戦するつもりだったのではないか?

しかし、当時のアメリカのアイゼンハワー大統領は旧ソ連との戦争を望んでいなかったため、アメリカ軍やCIAの目論見は外れ、用済みとなったオズワルドをアメリカに帰国させた可能性がある。

次のケネディ大統領は「ミサイル・ギャップ論者」で、アメリカ軍やCIAは対ソ連戦争をする大統領と思っていた。しかし、ケネディ大統領は軍部の言いなりにならず、対ソ戦争をする気配がなかった。

それどころか、対ソビエト戦争に消極的なため、逆にソ連の核先制攻撃を招く恐れがあるとアメリカ軍やCIAは判断したのかもしれない。

もちろん、実行部隊は退役軍人などCIAや軍部と直接の関係がないグループで組織されただろうが、黒幕はアメリカ軍やCIAと思われる。

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