日本の首相閣僚の靖国参拝が問題になったのは1985年の中曽根首相の靖国神社公式参拝からで、翌年の1986年には中曽根首相は靖国参拝を取りやめた。
そもそも、なぜ中国は日本の閣僚の靖国参拝を嫌がるのか?
1981年胡耀邦は中国共産党主席に就任、鄧小平、趙紫陽首相と3人体制で中国の政治と軍事を掌握した。
胡耀邦は民主化を推進すると同時に親日政策を取った。ところが、この時期、日本の左翼マスコミは、1985年の日本の中曽根首相の靖国参拝、1986年の日本の歴史教科書を問題化し、中国の反日勢力(保守派)に「ご注進」した。
その結果、胡耀邦は中国の保守派の巻き返しにより勢力を失いつつあった。そこで日本の外務省は中国の民主化を進める胡耀邦を支援するため、中曽根首相の靖国参拝を中止することにした。
中国共産党保守派の立場から見れば、日本は「中国の民主化」つまり「中国共産党の崩壊」を画策している反中(反共産党)国家とされているのだ。
1989年4月に胡耀邦が死去、彼の追悼集会が反政府デモに発展、1989年6月に天安門事件となった。
中国は4000年間、権力闘争をしてきた国である。とにかく権力闘争に関しては敏感である。
日本が支援した胡耀邦が死去し、その直後に、大規模な反政府運動が起こった。中国共産党保守派の中には、天安門事件は外国政府が関与し中国共産党政権を転覆させようとしたと疑う人間がいても不思議ではない。
中国の人民解放軍もデモ隊に融和的であったが、突然、デモ隊を排除する方向になった。
「外国政府が仕組んだデモ隊」という認識に変わったとしたら、人民解放軍の方向転換も説明がつく。
中国共産党は天安門事件後から激しい反日政策をとる。中国共産党政権への批判を日本に向けるためと言われる。しかし、日本政府が中国民主化を進めた胡耀邦を支援してきたことへの意趣返しの意味もある。
中国共産党首脳の立場から見れば、日本の首相が自分の在任期間中に靖国参拝することは、胡耀邦よりも自分を下に見ていることになる。
つまり、日本は胡耀邦の立場に配慮して靖国参拝を中止したのに、なぜ自分のときは、その配慮をしないのかと、中国共産党首脳は思っているのだ。
日本の外務省は中国共産党の保守派と民主派の権力闘争のときに、中国の民主派に一方的に味方した。
しかも日本が支援した胡耀邦の死後、中国共産党政権を転覆させるかもしれないような大規模な民主化デモが発生した。
中国共産党からみれば、日本が中国共産党政権を打倒し民主化しようとしていると感じても不思議ではない。
1974年田中角栄首相の金脈問題が発覚し、日本の政治家は国内の公共事業関係者から政治献金を受け取りにくくなった。
そこで1980年からはじまった日本の対中国ODAを利用したと言われる。例えば日本から中国への1,000億円のODAがあると、その5%(50億円)が日本の政治家にキックバックされたと言われる。
中国の反日政策にも拘らず2010年までに総額3兆6000億円のODAが供与された。その5%がキックバックされたとすると1,800億円になる。
よく中国は日本からODAを受け取って感謝しないという批判があるが、中国から見れば日本の政治家にキックバックしている中国に感謝しろと思っているのかもしれない。
実は、靖国カードは日本が持っている。日本の首相が靖国参拝すると、中国共産党主席は中国国内で批判されることになる。
外交の基本は相手国の嫌がることをすることだ。
テニスは、相手のいないところにボールを打つゲームだ。外交だって、相手の嫌がることをして、相手に譲歩されるのが基本だ。
だから、日本は中国の嫌がる靖国参拝をするべきだ。この程度の駆け引きができないなら中国とは対等な外交はできない。