トルコは1987年にEC加盟(当時)を申請し、2005年からEU加盟交渉を開始した。しかし、トルコのEU加盟には35分野の合意が必要とされたが、合意に至ったのは1分野のみでトルコのEU加盟は事実上困難となっていた。
EU加盟のために妥協を重ねたトルコ
トルコはイスラム国家であり、EU加盟に際してはイスラム色を薄めることが必要だった。2004年にはトルコはEU加盟のために死刑を廃止している。トルコ国民もEU加盟のためにイスラム色を薄めることを支持した。
しかし、トルコのEU加盟は事実上困難になったことで、エルドアン政権とトルコ国民は本来のイスラム国家に戻ろうとしていた。
トルコのイスラム化に反対するエリート層
トルコの学歴の高い法曹関係者は、西洋の民主主義を尊重し、極端なイスラム化に否定的だ。一方、中流や下層のトルコ国民は、イルラム教徒であり、むしろEU加盟のためにイスラム色を薄くしたトルコのエリート層に反感をもっている。
トルコ国民のEUへの失望
ドイツにはトルコ移民が200万人いる。戦後のドイツの労働力不足を解決するためドイツがトルコ移民を受け入れたためだ。しかし、戦後70年経ってもドイツのトルコ移民とドイツ人との格差問題が存在する。
もしトルコがEUに加盟すれば、トルコ人はEU諸国に自由に合法的に移民できることになる。これはトルコ国民にとってメリットが大きいことだった。
したがってEU加盟のためにイスラム色を薄めることも我慢できた。しかし、トルコのEU加盟が事実上困難となったので、トルコ国民の多くは失望感を感じた。
この失望感がトルコのイスラム化を推進し、EU加盟を指導したトルコのエリート層への反発につながった。
追い詰められたエリート層
トルコのエリート層はEU加盟ができず、トルコが再びイスラム色を濃くしていることに不安感を感じ始めた。エルドアン政権は、世俗派を排除する方向になり、次第にトルコエリート層は政治的に追い詰められた。
そこで、クレーデターを起こした。しかし、トルコ国民の支持はなく、クーデターは失敗した。